三内丸山遺跡

概略

 日本全国に古代史ブームを巻き起こした三内丸山遺跡も、存在そのものは既に江戸時代から知られていました。しかしながらほんの数年前までは、星の数ほどもある遺跡の中の一つにすぎませんでした。 当初、平成4年から期限限定付きで発掘されていた同遺跡から、平成5年9月に同地に新県営野球場建設着手直後、今までの常識を大きく越える出土品が大量に発見されました。その結果縄文時代前期(約5800年前)から中期(約4100年前)に渡る、実に1700年間以上もの永き時を定住の地として刻んできたことが明らかにされました。 さらに極めつけは、平成6年7月に大型掘立柱建物跡が発見されたことで、一ヶ月後の同年8月には新野球場の建設は中止、同遺跡の完全保存が決定。活用区域・遺跡ゾーンとして発掘の継続及び整備が今も続けられています。 発掘調査では、39ヘクタールに及ぶ範囲で、約580棟の竪穴住居跡や、大型竪穴住居跡、大人の墓、約880基の子供の墓、盛土、堀立柱建物跡、大型堀立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、ゴミ捨て場、道路跡等が見つかり、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石製の装身具、木器、骨角器、他の場所から運ばれたヒスイ、黒曜石等が出土されています。 他にもヒョウタン、ゴボウ、豆等、栽培植物の種も見つかり、DNA分析によりクリの計画的な栽培が明らかになるなど、これまでの縄文時代のイメージを大きく変えました。 縄文時代を解明する上で重要な遺跡として、平成9年には国の特別史跡に指定されています。

縄文時代の三内丸山

 一般に縄文時代とは紀元前一万二千年前から紀元前二、三百年前までを言います。ただし数年前に中国で一万四、五千年前の土器が見つかったのに加え、蟹田町・大平山本遺跡から発掘された土器の年代測定の結果は1999年4月に発表された内容は一万六千五百年前。日本の縄文時代の起源の謎とともに、その始まりの時期もさらに過去へ遡りそうです。 当時の気候は、縄文時代の始まった頃に当たる一万二千年前頃に氷河期のピークが過ぎ、地球規模の温暖化が始まりました。そして今回の三内丸山遺跡の少し前の六千年前ごろに温暖化はピークを迎えました。その後はまたふたたび冷涼化が始まったわけですが、三内丸山遺跡の時代はそれでも現代よりは遥かに暖かく、そのせいで今では内陸の三内丸山も、当時は海岸線が比較的近くまで後退していたと考えられています。

三内丸山遺跡発掘以前の縄文時代観

 採取生活が主で、食物となる動物を追って通り道に当たる岩陰や洞くつに住んだり、海岸や川で貝を採ったり、魚を捕らえたり、あるいは自然に生息しているドングリ、トチの実、栗の実などを拾い集めて暮らしていたと考えられていました。 髪はザンバラ髪、裸足で着衣も裸か獣皮の衣でわずかに肌を覆う程度で、縄文後期になって食物繊維が使われ、目の粗い布がつくられたとされていました。 生活単位も7、8人から規模の大きいものでも数十人、それも家族が集まっている程度のものが洞くつや岩陰を住まいにしていたと思われていました。 これらの縄文観が根底から覆された大発見がこの三内丸山遺跡でした。

ご利用案内

■見学時間
 ●4月~5月、10月~3月 (AM9:00~PM5:00)
 ●6月~9月         (AM9:00~PM6:00)
 (入場は終了時の30分前まで)
■ボランティアによる遺跡案内
 ●4月~9月(AM9:15~PM4:00)
 ●10月~3月(AM9:15~PM3:30)
 (1時間ごとに遺跡案内があります/団体の場合はご予約下さい/TEL017-766-8282)
■休館日
 年末年始(12月30日、31日、1月1日)休館
 ●保守点検のための休館日
■見学・案内 無料